アイドルとしての死と平成の終わり(SMAP論②) | 七つの海をバタフライ -吉川晃司ブログ-

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異彩を放ちまくりながらも逞しく泳ぎ続ける吉川晃司。
全てのロックレジスタンスどもへ バーボンを傾けながら・・・。

「あぁ、やっぱりか。」
本日真夜中の速報NEWSを見て多くの国民は納得した事だろう。
今年1月に話題となった、SMAP解散報道が所属事務所からの正式な発表として世に出されてしまった。

これから年内の解散まで、多くの芸能人、知識人、コメンテーター、ブロガーが思い思いの『SMAP論』と平成という時代について書き連ねていくだろう。
それくらい、天皇陛下のお言葉とSMAP解散はこの時代2016年夏を象徴する大きなトピックだと言える。

昭和の終わりに大旋風を巻き起こした光GENJIの後発として、SMAPは世に送り出された。
まさに嵐のような過ぎ去ったブームだったのは幼い筆者の記憶にも残っている。
現在のジャニーズの栄光はSMAP以降と言っても過言ではなく、アイドルらしからぬマルチなスタンスは多くの後輩が踏襲する事になった。

『個の時代』が謳われる中、美男だけではない彼らはより『個性』を打ち出した事により大衆にマッチした。
ドラマ、バラエティ、映画、書籍などを途切れる事なく発表し続けこの28年を走り続けてきた。

中居正広のバラエティ番組『ナカイの窓』で酒に酔った近藤春菜が泣きながら中居にこう言った。
「どれだけ国民に捧げてきたんですか。もう十分じゃないですか!誰も文句言いませんよ。」
これはSMAPと青春を重ねてきた我われ世代には、同世代感、コモンセンスと言ってもいい。

日本のエンターテイメントを、テレビという娯楽を牽引してきた最後のスターが気付けば全員40代に突入している。
未だに求められる、キムタク、中居君、ゴローちゃん、草𦿶君、慎吾ちゃん、である。それも1人しか家庭を持つ事が許されていない。(更に言えば家庭の話題は一切タブー。40代がワンピースにはしゃぐ姿よりもよっぽど身の丈にあっている。)

「個性の時代」「個の時代」を象徴したSMAPが、誰よりも「個人の生」を生きられない、私人になれないままである事を露呈した。
時代の閉塞感と合わせて、「稲垣メンバー事件」「裸で何が悪い事件」と彼らを取り巻くストレスや闇も目に見える形でこの10年感顕在化したように思える。
売り上げ、人気も頂点を極めればあとは下り坂を降りていくだけ。
その難しさや苦悩は周囲には計り知れない。

「国民的アイドル」という公人からの脱却は、解散という儀礼的死を迎えなくてはいけないというのはもはや避けがたい事実なのか。
中居君のデレマス「アイドルは辞められない」とダンディハウスのキムタクの広告が隣合って貼られていた地下鉄を思い出す。

光GENJIはステージにローラースケートを置いて去っていったが、SMAPは平成という時代を置いていく。
願わくば東京五輪で大都会TOKIOに大輪の花を、世界に一つだけのこの国にしか無いアイドルという花を咲かせて欲しかったものだ。