愛が止まるまでは(SMAP論①) | 七つの海をバタフライ -吉川晃司ブログ-

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異彩を放ちまくりながらも逞しく泳ぎ続ける吉川晃司。
全てのロックレジスタンスどもへ バーボンを傾けながら・・・。

今、日本中が固唾を飲んで注目しているグループがいる。
もはや知らない人の居ない「国民的アイドル」、SMAPである。

20年欠かさずSMAP×SMAPを観てきた人間としては2016年1月11日のSP企画、木村拓哉と吉川晃司の木製大工訪問に違和感を覚えたのだ。

かたや本物を知る大人代表としての吉川晃司。
そして、そこに「ヤベェヤベェ」と興奮するだけの木村拓哉という構図。

木村拓哉とて40を越えた大人だ。
分別も知識もあるだろうに、何故そのような若者ぶったリアクションなのだろうか、と。

アイドルとは因果な商売だ。
とりわけ日本でのアイドルとは、未成熟であり未完成であり、自己批評能力に長けていてはならない。

何故か?

アイドルとは、演者(パフォーマンス)と企画者(プロデューサー)と聴衆(オーディエンス)による幸福な共犯関係によってなりたっている。

演者はあくまでも、聴衆からみた理想の現し身として、聴衆の欲望願望希望を体現する。

「こんな◯◯が観たい!」
「こんな◯◯でいて欲しい!」

その望みを叶える為に生まれたのがアイドルだ。

少年少女に夢を!それは戦後復興期を経て草野球と宝塚の融合を目指した、ジャニー喜多川氏とジャニーズの始まりの物語だ。

SMAPのデビューは1991年の9月9日。
(ジャニーズはレコードデビュー日を慣例としてデビュー日とする。)

必ずしも順風満帆なスタートでは無かった。
80年代をアイドル繚乱の時代とするなら90年代はアイドル冬の時代と言われた。
特に瞬間風速最大級の光GENJIの後にデビューしたSMAPは、スポーツと音楽の融合との名がつきながらも相次ぐ音楽番組の終了と、方向性が決まらず不遇を舐めていた。

深夜バラエティ、コント、アニメCD、声優、ミュージカル、、、。
売れない時代には何でもやった。

今なら黒歴史と言われるような、今までのアイドル像を破壊し再構築し、現在の国民的アイドルグループの座を手に入れた。

SMAP以降、多くのジャニーズグループが今や多くのテレビ番組に出演している日常だ。
ジャニーズは栄華を誇っていると言っていい。

ただ、同時に多くの問題が巻き起こっているのも事実。
今回解散脱退移籍問題が巻き起こっているが、それは事の成り行きを見守れば自ずと答えは分かる。

この危機を回避しても残り続けるのは、「SMAPはいつまでアイドル足り得るのか?」という極めて難しい問題は時限爆弾のように足元に転がっている。


冒頭、木村拓哉を例にしたが彼も40歳を越え二児の父として生きる、一個人である。

その彼は90年代に一時代を築いてから、未だに『カッコイイ代名詞キムタク』を求められ演じ続けている。
その苦悩や努力は並大抵のものではない。

同様、他の四人に至っても、切り売りするプライベートには悲愴感すら漂う。
2000年代に入ってからのメンバーによる相次ぐ事件は、SMAPというもはや大き過ぎる看板の重さを体現しているように思う。

吉川晃司は芸能の世界を『マリオネットな世界』と評した。
大手ナベプロからのアイドルデビューとロッカー、役者として確固たる地位を築くのは並大抵の事では無かったはずだ。

SMAPがアイドルである為にはジャニーズでなくてはいけない。
しかし、ジャニーズでいる限りアイドルであり続けなくてはいけない。

ココに二律背反する、公人と私人のジレンマが生まれるのは想像に難くない。


筆者を含めた多くの、2016年を生きる日本人のほとんどにとって、SMAP程メディアを通してその成長を、その老いを、そして音楽を通じて、時代を感じさせてくれるグループは存在しない。

そしてここまで時代に愛されたグループもだろう。SMAPが終わるというのは平成という時代が終わると言い変えていい。

今夜、続報を待ちたい。
このCMを観ながら。



2016年1月18日