18年前、少年の君に。
みんなロックに夢中だった。
そしていつしかロックに飽き、それでもこだわり続けることを捨てられない。
言葉を変えれば、僕達はロックに呪われているといっていい。
ロックと共にあり続けるには、
ロックに殺されるか、ロックと共に転がり続けるしかないのだから。
あの日ラジオから流れる、彼のギターに心奪われてから
あの日テレビで観た、躍動する彼の歌声に魂を掴まれてから
あの日街角で聴いた、今は亡き彼の言葉に痛みと優しさを覚えてから
僕たちのロックンロールは始まった。
アンプリファイされた思春期をノイズと爆音に乗せれば、こっぱずかしい愛や夢や恋だって何処にもないラブソングになる。
それは確かだ。でもそんなにインスタントなラブでいいのだろうか。
同時に、ロックンロールという音楽がこんなに溢れてしまっては、最早ただのポップス以下の音楽ジャンルでしかない。
僕たちが聴きたいのは、ただかき鳴らしただけの、自己満足のロックンロールじゃない。
世界の終わりに魂を、心を、それぞれの想いを抱えながら生きる誰もが震える、そんなロックサウンドだ。
フジロックが始まってから18年。
その時に生まれてきた赤ん坊ももう高校も卒業間近だ。
そろそろロックというのが何かを考え始めてもいい頃だろう。
がなりたてるだけのロックバンドではない。
成熟した『ロックオーケストラ』なのだ。
吉川晃司の2015のチャレンジは、ロックオーケストラとしてフジロックの場に立つ事。
これまで「ロッキンジャパン」「モンバス」「apフェス」「氣志團万博」などでもフェスへの出演もあるが、日本にロックフェスの種をまいた本丸「フジロック」への出演をついに決めた。
それが吉川が挑む次の地平・・・。
ロックで在り続けるのは難しく、長くやればやるほど惰性になり、ロック的初期衝動からは遠ざかる。
僕達だってきっとそうさ。もはやロックで夢を見るには若くない。
だけどステージに立つ吉川を見てみればわかる。
彼は同じステージを繰り返さない。
吉川晃司は自分自身に飽きが来ないように生きている。
でなければロックと生きていけないからだ。
きっと魂が震えるロックはここに有る。
僕たちをまた少年に戻す夏がやってくるんだ。
ロックに撃たれた18年前のように。